趣味がないのは懸命に働いてきた証
寿命が延びたことによる働き方の変化について2回にわたり書き綴ってきましたが、今回はリタイアした後の問題を考えてみたいと思います
定年延長をしている社員は『お金の為』という人が7~8割だと思いますが、中には「家に引きこもってもやることがない」「人間関係を継続したい」などの『孤独が苦痛』という理由の人も多いです
長年勤めてきた会社生活から引退するとなると、誰でも感傷的な気分になりがちで、通う場がなくなることに戸惑いを感じる人も少なくないと思います
反面、毎日職場に通わなければならなかったこれまでの人生では「いつか自由な身になりたい」と思うこともあったと思います
自由を求めてきた半面「自由になってもやることがない」という人も多いと思います
私の勤めている会社では、残念ながら55歳役職定年導入は見送られ、60歳で役職定年で、その後は70歳まで時給制で労働期間の設定は個人で設定してもらいます
健康に問題なければ75歳まで延長ができます
女性は週休三日で15時で勤務は終了という働き方の方が多く「やりたいことがたくさんある!」と自分の時間を満喫していますが、男性の場合は今までと同じ労働時間の人が目につきます
役職を外れ責任がなくなり、住宅ローンも終わり、子供の大学の学費も終わればたいしてお金は必要無くなってくるはずなのに「なぜフル勤務をするのか?」と思ってしまいます
勤勉に、会社に忠実に生きてきた人ほど趣味がありません
いきなりの自由に戸惑う
定年後の生活の問題は、長年組織の縛りの中で生きてきたのに、いきなり「自分の好きなように生きれば良い」となるところにあるります
人間というのは勝手なもので、人から強制されると抵抗を示す人も、自由にやるように言われると戸惑うところです
「言われた通りにやればいいんだ」と言われ、モチベーションが下がった状態が長かったサラリーマン人生も「では、自分の思うように自由にやってくれればいい」と言うと「いきなり自由にしろと言われても困る」という気持ちになったりします
会社生活では、給料をもらう代わりにいろいろ我慢してきましたが、いざ自由にしていいとなると、自分の思うままに自由に暮らす方法をいつの間にか忘れてしまっているようです
特に自分自身の欲求や気持ちを疎外して、組織の原理に則って行動するサラリーマン生活に長年適応してきた人は、自分自身の欲求や気持ちがつかめなくなっていると聞きます
そのようなタイプがいきなり自由な身になると
「自分が何をしたいのか、どんなふうに暮らしたいのかが分からない」
「どうしたら自分が満足する生活になるのか分からない」
というようなことになってしまう ようです
人口減でも世帯数は増
私の元上司も「定年後は大好きな山登り三昧の生活を送る!」と張り切っていましたが、山に登り過ぎたことにより「定年した!山に登るぞ!」という時には花粉症になって登れなくなりました
そのような不幸の人もいますが、趣味のある人には60歳からは天国です
「自由になって困ってる」の次に「孤独に不安」という人もいます
人口が減り続けている日本ですが、世帯数は年々増加しています
もう昭和のサザエさんのような家庭はなく、子供は自立すると離れていく時代です
いわゆる『おひとり様』が増え続けているということです
「孤独死が増えている」と問題視されてますが、孤独が嫌いな人もいますが『IQが上がるほど孤独を好む』と言われてますので「一人時間は重要」という人の方が多いように見えます
「困った時だけ子供に助けてもらい、それ以外は各々自由な時間を生きる」というスタイルがスタンダードになってきています
築50年以上のアパートを老人専用に貸し出している私の友人は「生存確認ができるシステムがここにきてたくさんできてきた」といいます
「一人暮らしで悲惨な老人」というのは勝手な見方になりつつあります
昭和の人生モデルは寿命が四半世紀分伸びる令和にはあてはまらず、学習期⇒労働期前半・労働期中盤・労働期後半⇒リタイア期になってきており、それぞれを考えることが大切なようです
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました