人事からみた採用とキャリアアップの実情

長年の採用・教育経験から新卒就活、転職、シニア転職、キャリアアップを企業側からの目線で情報発信していきます 

引き継ぐということ

2代目は2代目の苦しみがある

もう30年も前の話ですが、私の叔母が夫の姉にお金を借りてお店を出しました

気さくな人柄と天性のアイディアマンなので、お店は非常に繁盛していました

ところがお金を貸してくれた義理の姉は、事あるごとに「私がお金を出したお店」「私がお金を出したからお店ができた」としゃべります

小学生だった私の耳にも入ったくらいなので、かなり吹聴していたと思います

叔母からすれば「私が考えて、働いているからお店が繁盛している!お金を出しただけでは商売にならない」というような愚痴を母に漏らしていました

「あんなに吹いて回られるのであれば、面倒でも銀行に借りればよかった」とぼやきます

この義理のお姉さんのように昭和のミセスは意味なくおしゃべりです

私の大学時代の友人も、父親が倒れたのを機に実家の電気屋を継ぎます

「お前はいいね!会社が嫌になっても逃げ込むところがあって」と心無いことを言われます

当時は大型量販店が次々にできて、街の電気屋さんが悲鳴を上げてた時代です

・どんな些細な修理でも気持ちよく受ける

・設置から廃棄するものまで一貫して引き受ける

・夜中でも早朝でも快く修理に足を運ぶ

などして、必死に逆風の中を切り盛りしていました

サラリーマン時代は大型支店の副支店長だったので、年収も1千万は超えていたし、支店長になればかなりの年収だったと思います

東京から三重県に移る時も、家族には非常に嫌な顔をされたと聞きます

思うに、まったく望まなかった方向転換だと思います

二代目は楽でいいねというのは無知な人のお気楽くな心無い言葉です

初代が偉いという見方がされますが時代変化と戦うという意味では、苦労は同じです

むしろ時代の追い風にのって創業した初代と、時代変化の逆風で引き継いだ二代目などもよく見かけるくらいです

才能がなくて後を継げない場合だってある 

私の母は革工芸の学院とギャラリーを経営していました

継げと言われても、私には才能がないので継げません

基本的に学生の学力は国語・算数・理科・社会で評価されます

美術・体育・音楽は評価の対象にならないかというと才能領域で結果が出る部分が大きいからです

国語・算数・理科・社会は努力領域が大きく、がんばればなんとかなる可能性があります

美術系の世界は才能領域なので、努力だけではどうにもなりません

熱望されても才能がなくて継げない場合もあります

今はお弟子さんのNO1・NO2の人が継いでますが「創作品が好みでないらしく、富裕層ほど顧客が離れてしまった」と言います

1人の才能に頼り切った組織は危ういです

ちなみに母は、私の3番目の女の子に「才能がある」と期待していたようですが、残念ながらその子が中学生の時にこの世を去ります

大学まで生きていたとしても「山手線の内側にある大学に行きたい」で美大などには無関心でしたし「丸の内の大企業で働きたい」という希望なので、継ぐことはなかったと思います

芸術的な才能で食っていけるわけがないので、私は私の才能を活かせる事業をやっています

後継者問題は至る所で発生する

転職のCMと事業継承のCMが活発化していので

「自分の価値を上げてどんどん転職する時代だ!」

「会社も価値を上げて売る時代だ」

「人手不足が深刻でキャリア採用に力が入っている」

「会社も後継者問題で悩んでいる」

など、終身雇用・年功序列が終わり、新しい時代に入ったことがよくわかります

バブル末期もそうでしたが、求人関連のCMが活発な時は人手不足です

就職氷河期の時代は、全くこのようなものは流れません

人手不足は雇われる側にはある意味有難い状況ですが、後継者不足は経営側にも雇われる側にも深刻な問題です

母が亡くなり地元に戻って、困っているのが『寺の運営問題』です

住職の息子さんはサッカーのスポーツトレーナーで「これは引き継がないな」と思われていましたが、嬉しいことに副住職として帰ってきてくれました

寺院の半分近くは消滅すると言われてますので、覚悟をもって継承者になっているのだと思います

結婚せずに終わる人も多くなり絶家も増えます

というより、家系が途絶えたお墓がチラホラ目につくようになりました

檀家の集まりでは「私が死んだら誰があのお墓の面倒みてくれるのかしら」という人もいます

京都のとある社長に「絶家は盗賊より罪が重いこと」と若い頃言われたことがありますが、現在の多様化の時代は子供をつくるか否かは自由です

会社も家系も継続させるのは大変な時代になりそうです

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました