人事からみた採用とキャリアアップの実情

長年の採用・教育経験から新卒就活、転職、シニア転職、キャリアアップを企業側からの目線で情報発信していきます 

4つの時代を生きる

多産少死の時代を生きる

先日、祖母の妹が息を引き取りました

99歳、大正・昭和・平成・令和という4つの時代を生きたことになります

10人兄弟で、生存しているのは一番下の弟だけになります

ちなみに祖母の妹は叔祖母(おおおば)と呼ぶそうです

本人のお通夜に知るこの自分の教養のなさに呆れます

お通夜の席で長男であるおじさんが「息子3人、孫は6人、曾孫8人で○○家に嫁ぎ、十分役割は果たしたと思います」と述べていました

役割を果たす・・・「これが昭和までの『多産少死時代』の価値観だったんだな」とつくづく考えさせられました

1次産業が主体であった時代は子供は労働力だったので10人兄弟などはざらです

祖母の実家も6畳と4畳半の家に親と十人兄弟が住んでいたそうです

1人1畳もありません

私のようなX世代は兄弟は2人くらいで、3人は多い部類でした

令和の時代の子供は、多くの学費が掛かり結婚すれば独立して出て行ってしまうトータル2000万円のコストです

文化は成熟し多様化の時代 へ

「国民皆年金」の基礎ができたのは戦後の1959年で、1961年に国民年金法ができました

老後は年金で生活できる・・・となるまでにはまだまだの時代です

従って両親の老後は長男が面倒をみるというのが当たり前の時代でした

家系を継続させるということは最重要課題で「兄弟で子供ができなかった家に自分の子供を養子に行かせる」などの時には長男以外が選ばれたようです

「絶家は盗人より罪なこと」という人もいたくらい、家系が終わるということを嫌がっていたそうです

「女は家を守る」という考え方が強く、昭和は専業主婦率が非常に高かったのです

私の母はギャラリーや学院経営をしていたので「お母さん働いてるんだ」「女なのに大きな車乗ってるんだね」と変わった家だという目で見られました

 大学の同級生の女性も

「銀行マンと結婚したいから銀行へ就職する」

「長男は嫌!転勤族でいいから次男か三男と結婚する」

「結婚したら主婦業に徹する」

「子供は二人、男は大学、女は短大に進ませる」

就職したら欲しい車やブランドスーツのことばかり考えている男性に比べ、女性の方がライフプランがシビアでした

結婚して子供をつくるは当たり前で年頃になっても相手がいないとお見合いの面倒をみる年長者が必ずいたそうです

今の結婚相談所のようなビジネスではなく「おせっかいなおばさん達」です

 

X世代からはお見合い結婚はかなり数が減ります

自分の人生パートナーは自分で探すものという意識が強く、お見合いには否定的になっていきます

連動して映画やドラマ、マンガなどでは恋愛ものが人気となっていきますが、皮肉にもお見合い結婚に比べ、恋愛結婚の方が離婚率は高いという結果となります

「好きで結婚すると好きでなくなれば離れる」などと言われたりもしていました

昭和は考え方に多様性が無く、男女は全く違う役割であるという文化でした

ジェンダー平等、夫婦別姓などは議論にさえ上がりませんでした

人は過去を美化する 

「昔はよかった」という人がいますが人は過去を美化する癖があります

昭和を知らない世代もグラフの伸びだけ見て「すごい!毎年ぐんぐん伸びてる」と思うかもしれませんが

現実の昭和は今よりもずっと不便でした

携帯電話もなく

1人暮らしの学生や新入社員はクーラーをもてず

「バブルに戻ろう!」と戻っても幻滅するかもしれません

「長男は親の面倒をみるもの」

「年頃になったら必ず結婚しろ」

「子供をつくり家系を存続させろ」

「男の子をつくれ」

法律でもないこの考えに皆縛られていた時代です

昭和天皇の妃である香淳皇后が4人目の出産のとき、なかなか生まれてこず宮内庁病院の医師たちは原因もわからず右往左往したそうです

昭和天皇は「心当たりがある」と香淳皇后の耳元で次も女の子でいいからねと呟くと無事に出産したそうです

昭和まで女性は家系継続という目に見えないものに苦しまされていたのかもしれません

平成、令和と時は流れ、考え方は多様化していき、一つ一つ昭和までの呪縛から解放されていきます

叔祖母は1日中テレビを見ていたそうですが「変わりゆく価値観の変化」をどうみていたのだろうと考えてしまいます

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました