読書は高尚な趣味か?苦行か?
昔、新入社員の教育担当として教育企画部に配属されたときのこと、先輩社員に「君は週何冊くらい本を読む?」と聞かれたことがあります
「週?月じゃなくて?」
本など通勤電車の暇な時間に読む程度だったので、通勤時間30分×朝夕2回×5日ですから、1冊読み終わらないレベルです
興味のある分野は別ですが、そうでない読書は苦行でしかなく、多分車通勤だったら本など無縁だったかもしれません
この部署の人たちは本社の横には5階のフロアのある大きな書店があったので「恵まれた環境だ」と皆、喜んでいます
どうやら読書好きの揃った部署に来てしまったようです
私は「月に20冊も本を買っていたら、いくらになると思ってんだ!」と考える方
他のメンバーは「素晴らしい知識が1000円~2000円で得られる」と考えています
この時点で同じ人間とは思えない教養量の差だったと思います
本を読むのが億劫な人は
「知識ばかり身について脳のぜい肉になっている」
「知識量の割に仕える知識はごくわずか」
と本を読まない自分を正当化します
ただこの部署にいて「大脳の大きく発達した人間に生まれてきた以上、知識欲を満たす行動を好むのは高等生物の証明」と考えるようになりました
読書量の多い人はやはり人間の格が高いような気がします
使う言葉を大切にする人
当時私は入社6年目くらいでしたが、読書を苦行と考えている人間が読書好きの中に放り込まれたらさぞ居心地が悪いのでは・・・と思うかもしれませんが、何故か居心地は非常にいい部署でした
大量の書物を読む人たちは言葉を非常に大切にします
日本にも江戸時代より「贈る言葉が美しければ、返ってくる言葉も美しい」と言われています
教育企画部の先輩社員にも「良書はできうる限りよく読んだ方がいい!言葉には言霊が宿っているから、それを多く取り込むことが出来る」と言われたことがあります
読書家は『使う言葉』を非常に大切にする人が多いです
使う言葉がきれいな人の集まりは居心地がいいのだと思います
使う言葉で思考が作られていきます
思考は行動となり、習慣となり、人格へとなっていきます
入社前の学生の配属先の希望を聞くカウンセリングで「読書を全くしない上長の下だけは嫌です」と言われて驚いたことがあります
年齢に関係なく、心を言霊で満たした人間から見れば、私のようなろくに読書をしない人間は『蛮族』に見えるのかもしれません
思考の癖を矯正する
美輪明宏さんが以前
すぐにキレるのは
自分を表現する適切な言葉を知らないから
たくさんの本を読んで言葉を知れば
ストレスは溜まらない
と語っており、本当にその通りだと思います
言葉には大きな力があり、いつも繰り返している言葉は私たちの血となり肉となり骨となって、人生を動かしていきます
人は言葉が尽きた時点でキレるようです
「陰の言葉は人生を陰転させる」とわかっていても、ついつい使ってしまうので言葉の置き換えが必要です
「どうせ」俺なんか・・・成功しない・・・ を
「とりあえず」に置き換えるだけでも違います
「どうせやったって・・・」を「とりあえずやってみるか」に変換するだけでも違います
「まあいいか」は自分と相手の不満を許す便利な言葉
「それもそうだね」は相手の意見に同意をせずに受け止めることが出来る便利な言葉です
口癖を変えるだけでも『人に与える印象』『思考』『行動』は大きく変わっていきます
加えて
『いつも機嫌よくふるまう』
『勝ち負けにこだわらない』
『物事を悲観的に観ない』
『心配し過ぎない』
などの習慣を意識することも大切です
言葉を相手を論破することなどに使っても意味はありません
論破したところで、相手は考えを変えてくれるわけでなく、メンツをつぶせば敵になってしまいます
気分が良いのは自分だけで、他人に勝つことに言葉は使うものではないと思います
言葉を知っている人はやはり人としての格が高いように感じます
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました