人事からみた採用とキャリアアップの実情

長年の採用・教育経験から新卒就活、転職、シニア転職、キャリアアップを企業側からの目線で情報発信していきます 

貧しくて置き去りにされた人達

 〈上・長野県旧天龍村の画像〉

国は豊かさを目指さなければならない

資本主義社会は競争のエネルギーで動いているので、激しく競い合わされたり、大きな格差が生まれたりします

そんな現状に嫌気がさして、経済発展に否定的な人たちも多いです

中国の若者の寝そべり族が問題となっていますが「激しく受験で競争させられて、社会に出てもまた激しく競争なんて御免だ!」「ゼロコロナ政策で多くの企業が潰れ、大学出てもろくな仕事がない」などが重なり、一日中ゴロゴロしている若者が増えています

日本や欧米でも「金持ちはどんどん金持ちになり、一生懸命働いても貧しい人たちは苦しくなるばかりだ」という現実に嫌気がさす人は多いです

「税金はどんどん取られ、物価まで上がりだした!」

「手取り収入は増えず、生活は苦しいのに富裕層は増え続けている」

競争社会に嫌気がさすのもわかります

「いっそのこと、競争なんてやめて皆平等に貧しくなればいいのに」などと言う声も聞こえます

人事のベテラン社員に聞きましたが

年収400万の人は払った税金以上に国から大きな恩恵を受けている

「年収1000万の人はかなり損!2000万の人は大損!」

と聞きました

航空機もファーストクラスを利用する人のお陰で、エコノミークラスが安い料金にできているとも言います

富裕層が多くお金を払うお陰で、我々は恩恵を受けていることも多いです

立ち位置でものの見方や感じ方は変わってくるようです

資本主義は格差を創るメカニズムなので、当然持てる人と持たざる人ができますが、持てる人から多くのお金をとり、もたざる人に分配しているのも確かです

UNIQLOの柳井さんが「日本はもっと稼がなければだめだ!」と述べていましたが、支えてあげなければならない人達は常に存在するので、稼げる人は大いに稼いで多くの税金を納める構造は重要です

ただ、国が貧しくなると、置き去りにされる人がでてきます

長野県のおじろくおばさ

私は新潟県に4年半いたことがありますが、なんと新潟県は明治になるまで東京都より人口が多かったんです

新潟の知り合いの社長に聞くと「海の幸・山の幸・お米など食に恵まれていた」と言っていました

昔は食に恵まれた地域は養える人口が多く、豊かで人口も多いです

長野県にも4年半いましたが、山ばかりで平地が少ない故に農地は少なく、昔は食には恵まれていなかったようです

長野県は姥捨て山の話で有名ですが、平地が少なく食に困るため様々な悪習が生まれますが、人は食べて生きなければならないので苦渋の選択だったと思います

私は長野市に住んでいましたが、今では非常に栄えた街で、東京から引っ越したので「空気も水もきれいで快適」と感じていました

長野県の山奥で何百年も実在したおじろく・おばさという制度をご存じでしょうか?

長野県南部の旧天龍村地域(神原村)にかつて存在した人口抑制のための家族制度です

長男以外の兄弟姉妹は長男のために一生働かなければならないという奴隷制度と呼べるものです

男性は「おじろく」女性は「おばさ」と呼ばれ、長男の妻子よりも下の扱いを受けます

結婚も外出もできず、役所の戸籍には「厄介者」と書かれていたそうです

長男の為に働き続け、家族や社会から疎外された生活を送り、一生を終えたのです

村の人口約2000人のうち10%の200人がおじろく・おばさでした

おじろく・おばさは明治時代から昭和時代にかけて続きました

調査で確認された最後が昭和40年ですから、東京オリンピックの頃にはまだあったようです

このような風習が生まれた背景には、山岳地域における耕地面積の少なさや食料生産の困難さ、そして人口増加に対応するために考え出されたと言われています

少子化を不安視している今の日本ですが人口減より人口増の方がはるかに怖いのです

人類の歴史は、人口増加との闘いでもありました

少子高齢化』を問題視する日本ですが、世界が問題視しているのは人口増による食糧問題です

人口が増えれば、その人数分の食料を生産しなければならず、 とくに耕地面積が少ない山奥に住む人々は農作物の収穫量(生産量)が少ないため、人口増加には最新の注意を払う必要がありました

現代の価値観から見れば、人権や個人の幸せを無視した「おじろく・おばさ」は非人道的で「こんな扱いをされてた日本人がいたんだ!」と驚かされます

 家族や社会と断絶した状況に置かれ、村の人々との関わりは一切なく、村のお祭りなどイベントにも参加できず、多くは農業などに従事させられていたようです

牛馬のような扱いなので、笑うことも喜ぶことも怒ることもなく、感情はほとんどありません

天龍村に住む人々は「おじろく・おばさ」を当然(常識)だと考えていたので、別に可哀想に思うことはなく、村全体がからの昔の慣習に支配されていたようです 

人は貧しくなると動物になっていく 

昔の日本では間引きといって、これ以上養えないと赤ん坊のうちに殺していた風習もありました

働けなくなった老人を山に捨てる『姥捨て山』もそうですが貧しいから養うことができない状況にいると人は恐ろしい発想をします

知能も知性も働かず食える人と食えない人を選別するという行動をするようです

「競争社会なんてうんざりだ!競争やめて皆貧しくなる方がましだ!」と考えるのもわかりますが、貧しくなると必ず置き去りにされる人が出てきます

文化・文明の進んだ社会では人のIQは少しづつ上がっていきますが、食うや食わずの社会では知性の知能も動物に近いままです

稼ぐことは大切だし、競争に勝つことも大切だし、教育も大切で、とにかく立ち止まることは許されないのが社会です

間引き・姥捨て山・おじろくおばさなどの黒歴史は目をつぶらずに認識し、いかに豊かになり続けることが大切かを自覚しなければならないと思います

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました