長く続きすぎた終身雇用
母が他界したのと同時に5年前に実家に戻ってきました
両隣の家も祖父の代から新しい世代にバトンが渡されていますが、もう定年し隠居生活を送っています
東側の家が東電、西側の家が富士通、両家共に大企業にずっと勤め定年退職をしています
近所の私の叔父も大手新聞社を辞め、隠居生活です
3家共に昭和に推奨されていた『寄らば大樹の陰』の人生を忠実に生きてきたと言えます
新卒一括採用・終身雇用・年功序列・多額の退職金・厚生年金+企業年金という昭和の就業の理想モデルとされてきた社会を生きてきました
奥様方はずっと専業主婦で、子供は2人という昭和モデルです
定年後は特に打ち込むこともなく、たまに会うと話が非常に長いです
とにかく立ち話にして、相手の足腰が疲れるのを待ちます
その子供たちは転職もしているし、アナウンサーのような浮き沈みの激しい仕事にもついています
フリーランスでネット通販してサラリーマンより稼いでいる息子もいます
ただ、子供の生き方には賛同しかねるようです
終身雇用で飼いならされると人はどうなるのか?
その上の世代は大きく違った
さらにその上の世代の親たちとなると、育った環境が大きく違い、収入の考え方に大きな差があります
戦後の不安定な経済の日本で、会社は出来てもよく倒産するし、収入も不安定でした
『労働所得だけでは不安定』という意識が強かったようです
両隣とも、平屋の借家を2件づつもってました
東側の家は駐車場も所有しています
家庭菜園があり、野菜は自家栽培して、作り過ぎた野菜はお茶やお米と交換していました
借家には友達がいましたのでよく遊びに行きましたが、六畳一間に家族4人で住んでいたと思います
昭和の時代は、このような極小の平屋の借家が多くありました
株式投資もやっていたようですが、こちらでの運用益はよくわかりません
小さくですが不動産投資と株式投資はして、もしもの場合、最低限の生活は出来るようにしていたようです
わが家も広めの部屋を習字教室や塾などに貸していました
経済が不安定な環境下では『水源(収入源)はいくつか確保すべき』という考えが強くなります
また古い世代は「何かあったら生活保護」などとは考えず「お上の世話にはならない」という気骨精神が強いです
安定した労働市場を生きたことにより失われたもの
私が高校卒業以来、何十年ぶりかに実家に戻ると、次の世代は古くなった平屋を放置したままでした
自治体からは「生活保護者や、アパートが借りれない高齢者の為に貸してほしい」と言われてるようですが「見ず知らずの人間が同じ敷地内に住むのはヤダ」と断っています
『収入源は労働所得一本で生き、老後は多額の退職金と厚生年金で生活』というスタイルです
割と広めの家庭菜園は荒れ地になっています
安定したサラリーマン生活が長いと「株式投資も不動産投資も怖いし面倒くさい」とリスクを極端に嫌うようになります
「なんとかなっているから余計なことはしない」は終身雇用世代の『チャレンジを避けるマインド』を植え付けたようです
その上の世代も大きなチャレンジはしておらず「小さなチャレンジをコツコツやる」「身の丈に合ったチャレンジしかしない」ので、大きなリスクはおっていません
60代の司法書士さんと話していた時「俺の同級生は皆、雇われ癖がついてしまったくせに、会社がどう、国がどうしか言わない!貴方はそうなってはいけない」とよく述べてました
最近になりその意味がよくわかってきた気がします
籠の鳥は自由はないが、食うに困らず、安全ですが、外の世界で生きるすべを知りません
バブル崩壊後「失われた30年」と言われましたが、終身雇用で守られていた時代はのちの世代に『失われた半世紀』と言われそうです
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました