人事からみた採用とキャリアアップの実情

長年の採用・教育経験から新卒就活、転職、シニア転職、キャリアアップを企業側からの目線で情報発信していきます 

ミドル・シニアこそリスキリング

なぜリスキリングが大切なのか

世の中では「リスキリング=学び直し」が叫ばれています

なぜ リスキリングが必要なのかと言えば

変化する社会で今後必要なスキルや技術を学ぶことで、必要のなくなりつつある仕事から、新たに必要になる仕事へ移るためです

長らく続いた終身雇用により、すっかり飼いならされてしまった日本の従業員には、この変化は少々きついかもしれないと感じることが最近多々あります

特にX世代はバブル経済崩壊後の日本で懸命に戦い、これまで多くの実績を積み、多くのことを学んできましたので「リセットしろというのか!」「過去の実績は無になるのか」という捉え方をする人もいますが、そうではありません

変化の激しい新しい時代において過去の経験の蓄積だけで適応するのは困難です

年齢を重ねるほど自身の「過去の経験」や「知識の蓄積」に固執し「変化への対応」が苦手になっていきのはわかります

終身雇用という「安心社会」を生きてきたミドル・シニアの中には、変化の激しい時代がとてつもなく苦痛に感じる人もいます

「これからの社会で自分がやるべきことはあるのか?」と考える人も少なくないでしょう

私も新卒で入社した最初の会社が「いずれこのやり方は古くなる」「考え方も新しい世代に受け入れられなくなる」と先輩社員に言われ続けていましたので考え方もやり方も劣化するという考え方が根付いていました

25年間お世話になりましたが感謝しています

Y世代はリスキリングに対して理解を示し、Z世代は「当たり前だ」と言う感じですが、X世代がどうも否定的な人が多いように感じています

 

変化が苦痛

プロ野球監督やサッカーの監督が、今の若い選手を上手く育てられず苦悩しているのが良く報道されます

私も人財育成系の専門セミナーなどに行くと自分はもう古いということを具体的に自覚させられます

企業でも「後進を育てよう」という管理職は多いです

ただ育てようという意識はあっても新たな学びを始めようという意識は薄いように感じます

若者を育てようとした時に、どうしても自分が育てられてきた中からの育成方法で対応しがちです

「自分が育てられたときと同じこと」しか部下に教えないのはほとんどの管理職がそうだと思います

外部セミナーでも、独学でも育成方法の最新版を学ぶべきです

自分たちの世代が育ってきた環境と今の社会環境は明らかに異なり、経験の長さは必ずしも育成者の条件にはなりません

「過去のやり方」に拘泥せず「新たな育成の仕方」とはどのようなものか、育成の仕方の「学び直し」が求められるのは私もいつも痛感しています

世界有数の人事コンサルティング会社の日本法人代表を務め、人事や人材マネジメントの研究を続けてきた高橋俊介氏は日本に「キャリアショック」という概念を広めた「キャリア論の第一人者」です

その高橋氏がミドル、シニア層こそ新たな学びを始めようと主張しています

「主体的に学ぶ道を選んだ人」と「過去の実績や経験に頼って生きていく道を選んだ人」では、大きな差がつくことは明らかだと説明していますが本当にそう思います

 

年齢はさほど関係ない

X世代は「学び直しなんて、もう遅いのでは」と考えている人が多いです

60歳で仕事を辞めることを「プチFIRE」と呼ぶらしく「60歳リタイアは少し贅沢な人生」と呼ばれてるようです

60歳でリタイアするなら学び直さず逃げ切るのもいいかもしれませんが「あと10年以上は働く」ならモデルチェンジ・マイナーチェンジは必要です

今の時代、ミドルやシニア層でも第一線で「自分ならではの価値提供」が可能な仕事が増えてきていますから、 ミドルやシニアに適した「新しいモデルの仕事」は過去の経験の蓄積だけで適応するのは困難な為「主体的で継続的な学び」はどうしても必要です

ミドル・シニアを観ていると好奇心の格差を強く感じ、やはり好奇心が強い人の方が変化に強いように見えます

高橋氏も「ミドルやシニアの中には『自分の将来のキャリアや人生の選択肢が狭まってきた』『もう新しい選択肢はない』と諦めている人もおり、それはまるで『年齢』と『キャリアや人生の選択肢の数』が反比例するかのような間違ったとらえ方で、 年齢を積んでもキャリアや人生の選択肢は少なからず存在することを知るべきだ」と主張しています

若い世代との交流は増やした方が脳は活性化するし、好奇心旺盛なシニアなど『経験豊富で変化に興味津々』な人などは積極的に関わるべきです

「変化を忌み嫌う人」「好奇心を失った人」は遠ざけた方がいいかもしれません

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました